拝啓 岡田彰布監督
私たちタイガースファンに、夢と感動を与えて下さり有難うございます。
あなたが監督になってから、タイガースは、優勝争いをするのが当たり前のようになりました。あなたが監督になる前は、2003年は除いて、だいたいゴールデンウィークには、シーズンが終わっていました。それが、あなたが監督になってからは、勝つことが当たり前のようになり、選手が全力疾走するのが当たり前になりました。あなたがいなければ、今の強いタイガースはなかったと思います。
私は、誰が監督批判をしようと、あなたの事を信じていました。それは、あなた程、タイガースを愛している人はいないということ知っていたから。あなた程、ジャイアンツに対して、対抗心を持っている人はいないということを知っていたから。あなた程、選手の長所を伸ばす指導力のある人はいないということを知っていたから。あなた程、冷静に長期的に考えられる人はいないということを知っていたから。あなた程、義理深いひとはいないということを知っていたから。あなた程、気配りのできる人はいないということを知っていたから。あなた程、負けん気の強い人はいないということを知っていたから。
あなたは、生まれた時からタイガースと一緒に育ちました。幼少のころ、御堂筋パレードにタイガースの選手と一緒に車に乗っていました。ドラフト会議で史上最多の6球団指名を受けた前日、タイガースに入団したいという思うから、黄色のトレーナーを着て寝ました。そして、晴れてタイガースに入団しましたが、当時の監督ブレーザー氏に認められなかった為に、打てないヒルトンばかりがスタメン起用され、あなたはなかなか試合にでれませんでした。でも、腐らずに練習に励み、監督が代わってからスタメン起用されてからは、思い切りの良いバッティングで打点を稼いでくれました。ルーキーイヤーに、オールスターに選出され、初打席に、3ランホームランを放ったのを今でも昨日のことのように覚えています。85年、21年ぶりの優勝を勝ち取ったとき、あなたは、選手会長として、個性派揃いのチームを纏め上げてくれました。中学高校大学とキャプテンを務め、プロ野球選手会の会長まで務めた理由が分かります。あなたは、本当のリーダーだからです。85年日本一になったときの賞金を、選手だけでなく、バッティングピッチャー等裏方さんを含め、分け合いました。日本一になれたのは選手だけの力ではないということを分かっていたからです。タイガースから戦力外通告を受けたときは、タイガースに対する未練もあったと思いますが、野球に対する思いが捨てられず、引退の道を選ばずに、オリックス移籍を選びました。そしてオリックスで、リーグ優勝を経験し、引退しました。引退してから、2軍助監督を経験し、その時の仰木監督との出会いが、名将への礎になったのだと思います。
私は、西宮市鷲林寺に建設中のあなたの新居を見に行ったことがあります。その建設中の家に向かって、「もっとガンガン、打ってやー」と応援していました。あなたの奥様の旧姓が大関さんで、あなたのご子息が、奥様の名前・陽子から一字をとって、陽集という名前にしたのも知っています。あなたの奥様は、カナダからの帰国子女&上智大学外国語学部卒という才媛で、バース等外国人選手家族がホームシックにならないように、ホームパーティをするなどして、チームの勝利に貢献してくれました。陽集さんは、今春、大阪大学を卒業し、大手総合商社(残念ながら私が勤める会社の競合会社)に務められています。社会人になることによって、親子というより男同士の会話でできるようになったのだと思います。タイガースを常勝球団に育ててくれたのは、あなたのおかげです。ただ、陽子さん、陽集さんの支えがなければ、成し得なかったと思います。
シーズン82勝をあげた監督が辞任することは未だかつてなかったことだと思います。別に優勝を逃したすべての責任があなたにあるわけがありません。5年間393勝(平均78.6勝/年)という記録は、まさに名将の証だと思います。2005年9月7日のドラゴンズ戦は、私が今まで観てきた野球の試合の中でベストゲームです。監督の力で勝った勝利であり、優勝を決定付けた試合でした。
あなたの辞意は固いのだと思います。ただ、まだ、シーズンは終わっていません。82勝をあげながら引責辞任をする監督に対して、責任を感じない選手はいないと思います。私は、選手があなたに対する感謝を試合にぶつけ、クライマックスシリーズを戦い、必ずやセリーグ代表として、日本シリーズに勝ち進んでくれると信じています。そして、最後に、日本一の胴上げをして、あなたを送り出したいと思います。
監督を辞められてからも、タイガースの為に尽力して頂けると信じています。長い間お疲れ様でした。夢と感動を与えてくださり、本当に有難うございます。 敬具