キラー通り沿いにあるお好み焼き屋
『富久美』で、入社してから3年5ヶ月間同じ部署で働いた人たちと久し振りに集まった。
「夢と感動を創りたい」と思って総合商社に入社した。入社前の配属希望面接で、入社志望理由を説明し、メディアビジネス、エンタメビジネスを担当する部署に行きたいと力説したが、第7志望だった繊維部門に配属された。会社の中で最も古い部署である繊維貿易本部の織物貿易第二部だ。同部には、自分を含め2名の新入社員(総合職)が配属された。毎日、朝早くから夜遅くまで、忙しく働いた。毎週、休日出勤していた。諸先輩方からは、毎日、厳しく指導された。とても忙しい部署だったが、職場の雰囲気はよく、仕事が終わってから先輩、同期、後輩達とよく飲みに行った。休日は、旅行に行ったり、BBQをしたりと、働くだけでなく、思いっきり遊んだ。忙しく、つらいことも多かったが、今から考えれば、本当にとても楽しかった。
仕事も、日々、面白くなり、この分野で「夢と感動を創ろう」と思うようになっていったが、入社3年目の冬に転機が訪れた。苦楽をともにし、よく一緒に飲みに行った後輩が、「社内公募」の回覧のコピーを渡してくれた。米国のタイムワーナー社に、5億ドル出資し、メディア・エンタテインメントの分野に進出するための部署が新設され、その部員を社内公募するというのだ。自分が、入社以前より、この分野に興味を持っていたということをよく知ってくれていた後輩が、気を利かせてくれたのだ。今の仕事が面白くなってきた頃だったし、職場の人間関係も非常に良かったので、応募するか少し考えたが、これは、自分のために新設された部署だろうと思い、応募することにした。不思議に応募すれば採用されるという自信があった。自分ほど、エンタメ分野に詳しく愛情を持っている人間はこの会社にはいないという確信があったからだ。その思いの通り、書類選考、面接を経て、本当に採用されることになった。採用の通知が来た時は、とても嬉しかったが、今まで育ててくれた諸先輩方、同僚、取引先の人達の事を考えると、とても申し訳ないような気持ちでもあった。折角、やっと、使える様になったと思ったら、別の部署に行くとは、上司からすると非常に困ったことだと思う。野球で言えば、やっと1軍でローテーション投手になったと思ったら、FAして他球団にいくようなもんだ。上司、先輩の事を考えると、複雑な気持ちになったが、初志貫徹で、新しい部に異動することを決めた。
東京に異動してから、丸15年が経過しようとしている。会社生活でいえば、大阪の繊維部門での3年4ヶ月は、ほんの短い期間だが、この期間の経験が今の社会人としての自分の基礎を作り上げてくれたようなもので、自分にとって忘れることの出来ない重要な期間だったと思う。
今日は、入社当時、同じ部署に配属された同期が、香港駐在から東京に転勤になったことで、織物貿易第二部に所属していた人たちで久し振りに集まろうということになった。このようなメンバーで集まるのは、自分が東京に異動になってから初めてのことだったので、とても懐かしく、15年前にタイムスリップしたような気持ちになった。昔話や、今の不甲斐無い戦いぶりをみせるタイガースの話題などで盛り上がり、お好み焼きでお腹が一杯になった後は、カラオケボックスへと流れ、昭和歌謡で盛り上がり、カロリー消費促進に努めた。最後は、久し振りに、指導社員だった先輩の十八番『YMCA』で締めた。
自分の勝手で異動して行った自分に対して、皆、温かく接してくれる事に、嬉しく思うと同時に感動した。また、「夢と感動を創りたい」という気持ちを忘れず、これからも、真面目に頑張って行こうと強く思った一日だった。