松坂大輔投手とボストン・レッドソックスが、6年契約の年俸総額5200万ドルで基本合意し、松坂のレッドソックス入りが決定した。敏腕エージェント、スコット・ボラス氏のハードネゴに、一時は交渉決裂かとの噂も流れたが、交渉期限ギリギリでようやく合意に達した。
松坂のレッドソックス入団記者会見は、日米メディア400名が集まり行われた。その記者会見をテレビ映像でみて、とても、感慨深いものを感じ、感動してしまった。その理由は、松坂が、夢の扉を開いたからという事ではなく、記者会見の時に、松坂の横に座り、松坂の通訳を務める佐藤さんにある。
自分は、一連の松坂とレッドソックスとの入団交渉の報道を、怪物松坂がMLBでどのように評価されるのかという事よりも、スコット・ボラス事務所の日本地区代表である佐藤さんの事を気にして追っかけていた。
自分が佐藤さんと出会ったのは、確か2000年、仕事関係の打ち合わせの席だった。その当時、佐藤さんは、ジャック坂崎マーケティング(JSM)に勤めており、西武ライオンズのマーケティングを受託していた。初めて会った時に、スポーツ好きの自分としては、その仕事の内容にとても興味を持ち、もっと色々とスポーツ話をしたいと思い、日を改めて、飲みに誘った。すると、佐藤さんとは、同い年だという事、共通の友人がいる事等が分かり、とても親近感を持った。そして、何より、お互いに、スポーツを愛しているという事が分かり、とても仲良くなった。
佐藤さんは、高校まで野球をしていたが、大学からアメリカンフットボール部に入り、QBとして活躍した。大学4年の東西対抗では、関東代表QBとして選出されている。大学卒業後、ヘリコプターのパイロットになるという事で某警備会社に入社し、パイロットの訓練のために渡米。パイロットのライセンス取得後、帰国するが、その警備会社ではヘリコプターは使わないという事になったため退社し、スポーツエージェントになる夢を追って、再度渡米し、当時、LAドジャースに入団した野茂英雄のエージェントであった団野村氏の下で働くことなる。その後、帰国し、JSMで、西武ライオンズ、近鉄バッファローズのマーケティングを担当した後、スポーツエージェント、アラン・ニーロ氏の事務所に入り、阪神に入団したムーア投手、バルデス投手、中日に入団したギャラード投手等のエージェントを務めた。自分が企画プロデュースし、2003年シーズン開幕日にリリースした
阪神タイガース優勝祈念CD『Victory~Tribute to HANSHIN Tigers~猛虎に捧ぐ』に、グラミー賞ラッパーCOOLIOとトレイ・ムーア投手とのコラボが実現したのも、佐藤さんのご尽力があってのものだった。
その後、佐藤さんは、更なるステップアップを求めて、No.1スーパーエージェントして名高いスコット・ボラスの下で働くことになり、スコット・ボラス事務所の日本代表となった。
そういう一つの目標・夢に向かって、ぶれることなく、努力し続け、着実に一歩ずつステップアップしている佐藤さんの姿を見て、いつも刺激を受けていた。その佐藤さんが、今、日本国内だけでなく、全米で注目を集めている松坂のレッドソックス入団交渉の中にいるという事実に、佐藤さんの想いを想像するだけで、また、今まで歩んできた佐藤さんの道程を思い返すだけで、熱いものが込み上げてきた。今日は、松坂と同様に、佐藤さんにとっても、ひとつの大きな夢が実現した一生忘れることのできない一日になったと思う。(松坂は、会見で、“夢”という言葉は嫌いだと言ったが、ここで自分が言う“夢”とは、松坂がいう”夢”とは違う意味での“夢”の事を言っている)
松坂選手の隣にいるイケメン男性が佐藤さん