昼ごはんを食べ、オフィスに戻ると、同僚から、「レゲエマガジンの編集長だった加藤さんってご存知ですよね?今朝、お亡くなりになったようです」との言葉に、頭が真っ白になってしまった。病気療養の為に、家族の住む仙台に戻っていたとは聞いていたが、まさか、亡くなるとは。。。この事実を受け入れることが出来なかった。
岩手県沢内村出身の加藤学さんは、渋谷百軒店にあった伝説的ロックバー『ブラックホーク』の元店長で、レゲエ雑誌『サウンドシステム』、『レゲエマガジン』を発行し、日本にレゲエを紹介し続けた。その後、タキオンに引き抜かれ、日本最大の野外イベントとなった『Reggae Japansplash』を開催し、ジャマイカやUKのレゲエミュージシャンを招聘し、日本人にレゲエの魅力を体験させた。『ブラックホーク』に通っていた中央大生だった山口直樹さんを、日本を代表するレゲエアーティストNAHKに育てた。まさに、日本のレゲエシーンを創ったプロデューサーだ。
自分と加藤さんとの出会いは、1993年で、伊藤忠商事が、『Reggae Japansplash』にプロジェクト投資した時がきっかけだ。自分が音楽好きだということを知っていた上司に紹介してもらったのが最初で、その後、そのビジネスの担当者となり、1995年に、タキオン、伊藤忠商事、ソニーミュージックエンタテインメント、FM東京、シミズ舞台工芸の5社で、株式会社タキオン・インターナショナルを設立し、自分も設立メンバーとなり、加藤さんと机を並べさせてもらうことになった。それからの約3年間、加藤さんとは本当に深く付き合わせて頂いた。仕事も、常に一緒だったし、昼ごはんも、晩ごはんも常に一緒だった。ビールと煙草が大好きで、曲がったことが大嫌いな真っ直ぐな性格の人だった。音楽ビジネスについて全く知らなかった自分にとって、師匠みたいな存在だった。今、仕事をしている中で、加藤さんから教わったことはとても多い。「常にフェアであれ」というのも、加藤さんの考え方だった。「取引において、売り手であろうと、買い手であろうと、大きい会社であろうと、小さい会社であろうと、フェアであるべきだ。」「我儘言う人間が得するのは許さない。相手の事を考えて我慢してくれている人に申し訳がない。そういう人こそ、大事にするべきだ。」 加藤さんの教えは今も自分の心に残っている。
享年56歳。とても短い人生だったとも思うが、とても内容の詰まった56年間だったじゃないかと思う。加藤さんが生まれていなかったら、日本のレゲエシーンは確実に今とは違っていたと思う。違った言い方をすれば、今の日本のレゲエシーンには、加藤さんの魂が宿っているとも言える。冗談を言っている時の加藤さんの笑顔を想い出すと胸が詰まるが、そう思うと少しは気持ちが落ち着く。
加藤さん、本当に有難うございました。
天国で、Bob Marleyや、Jackie Mittoo、Alton Ellis、Sugar Minot、Garnet Silkなどのライヴを聴きながら、好きなだけビールを飲んで下さい!!
Rest In Peace.